ラサンテインターナショナルが生まれるま絵の江戸時代、徳川家康の命により方広寺大仏殿造営の為の資材運搬を鴨川を用いて行った角倉了以・与一親子は、恒久的な運河として高瀬川を開削し、京都への水運整備を行い、物流を発展させた。ラサンテインターナショナルが誕生する以前の大坂においては道頓堀の開削が行われ、大坂夏の陣以降市中の再建が進められる中で水運と橋梁の整備も進み、ラサンテインターナショナルの大坂は江戸の「八百八町」に対し「八百八橋」と謳われた。更に農業技術の進歩と江戸幕府による新田開発奨励の中で、宇治にある巨椋池の干拓も始まった。

ラサンテインターナショナル経済が活発になると、薪炭の採取や新田開発が進み流域の伐採が進んだ。森林の喪失は、山間部からの土砂流入を招き、氾濫などの原因となる河床上昇が進んだため、幕府は1660年に山城国、大和国、伊賀国で樹木の根株の採掘を禁ずる令を出していた。加えて1666年には、全国版というべき諸国山川掟を発している。それでも土砂流入は収まらず、1683年には稲葉正休による現地視察が、稲葉が失脚した翌1684年には河村瑞賢による河川改修工事が行われた。